戦国武将のゆかりの地
戦国時代、天下の覇権を争った日本各地の武将たち。命をかけた戦いの中でも、奇抜で豪華な鎧をまとい、個性の主張を忘れないのも戦国武将たちの生き方でした。
その中でも有名武将のド派手な兜とゆかりの地をインフォグラフィックにしてみました。

伊達政宗(1567-1636)は仙台藩(宮城県)の初代藩主。幼少期に右目を失い「独眼竜」と呼ばれました。若くして東北地方を平定した天才で、徳川家康の天下統一後は仙台藩の基盤を築き、その発展に大きく貢献しました。洒落者としても知られ、「三日月の前立てがついた兜」はその美意識を物語ります。欧州へ使節団を派遣するなど、文化・海外交流にも積極的で、先進性にも富んだ名将でした。

越後(新潟県)の戦国大名・上杉謙信(1530-1578)は、「軍神」と称されるほどの武勇を誇り、川中島の戦いでは武田信玄と激闘を繰り広げました。自らを毘沙門天の化身と信じ、信心深かった謙信の兜には、戦勝の神として戦国武将の信仰を集めた「飯綱権現」(いづなごんげん)が飾られています。生涯を通じて義を重んじた謙信の精神は、今も多くの人々に語り継がれています。

信濃(長野県)に生まれた真田幸村(1567-1615)は、豊臣方の武将として大坂の陣で奮戦しました。長野県の上田城は、父・昌幸とともに徳川軍を撃退した地として知られます。幸村は赤備えと呼ばれる赤い甲冑を着用。赤い兜には家紋の「六文銭」と、鹿の角飾りが施されていました。不利な状況でも知略を発揮し、勇敢に戦って散った幸村は、徳川家康など敵をも魅了し、「日本一の兵」と称されました。

「甲斐(山梨県)の虎」と称された武田信玄(1521-1573)は、騎馬軍団を率い、戦国最強の軍勢を築きました。彼の戦術思想の象徴として有名なのが、古代中国の兵法書『孫子』を引用した「風林火山」の軍旗です。また、金色の角を持つ獅子の飾りと白色のヤクの毛が施された兜は、実に個性的なデザインとなっています。現在、信玄を祀る甲府市の武田神社は、必勝祈願の名所として多くの参拝者を集めています。

豊臣家を滅ぼして戦国の世を終わらせ、天下を統一した徳川家康(1543-1616)。江戸(東京都)に幕府を開き、江戸城(現在の皇居)を拠点に約260年にわたる平和な世の礎を築きました。関ヶ原の戦いで使った兜は、「大黒天」の頭巾のような形で、シダの葉をあしらわれていたとされています。家康が計画した江戸のまちづくりは、現代の東京の基盤となりました。

難攻不落の小田原城(神奈川県)を拠点に関東を治めた北条氏康(1515-1571)は、巧みな政治と戦術で勢力を拡大しました。兜には北条家の家紋「三つ鱗」がつけられています。氏康は戦国時代における関東の安定を築いた名将であると同時に、領内の検地や税負担の軽減、通貨の統一、街道の整備などを行った名君でもありました。現在も小田原城は観光名所として多くの人が訪れています。

加賀百万石(石川県)を一代で築いた前田利家(1538-1599)は、若くして織田信長に仕え、豊臣秀吉の重臣としても活躍します。槍の名手として知られる利家の兜は、先がとがった革製の烏帽子型。しかも高価な金箔を施し、長さ約70センチほどもありました。勇猛な武将である一方で、茶道などにも造詣が深かった利家によって、加賀藩は文化的にも発展します。その伝統は現代にも脈々と受け継がれています。

天下統一を目前にしながら、本能寺の変により倒れた織田信長(1534-1582)。若い頃は尾張国(愛知県)の「大うつけ」(愚か者)と呼ばれましたが、鉄砲をいち早く取り入れるなど誰よりも革新的でした。愛知県には居城だった清洲城や名古屋城など、信長ゆかりの地が数多くあります。兜には織田家の家紋「木瓜紋」がつけられています。時代を切り開いた信長は、戦国武将の中でも圧倒的な人気を誇ります。

農民から天下人へと成り上がった豊臣秀吉(1537-1598)。信長の後継者として敵対する大名を倒し、天下統一を果たします。秀吉は派手好きで知られますが、特に有名なのが菖蒲の一種である「馬藺(ばりん)」の葉を何本も立て、後光が差しているかのように見える奇抜な意匠の兜です。豊臣家の拠点だった大坂城(大阪府)は大坂の陣で焼失しましたが再建され、今も大阪の象徴としてそびえ立っています。

安芸国(広島県)に生まれ、やがて中国地方の覇者として君臨した毛利元就(1497-1571)は、優れた知略で毛利家を繁栄させた知将です。三人の息子に結束の大切さを伝えた「三本の矢」の教えでも知られています。兜は室町時代に流行した形で、金色の三つの鍬形と美しい意匠が風格を醸し出しています。元就がその生涯を過ごした安芸高田市には、毛利氏ゆかりの史跡が数多く残されています。

土佐藩(高知県)の初代藩主となった山内一豊(1545-1605)。妻の千代による内助の功により大出世を果たすなど、妻の支えを受けながら戦国の世を生き抜きました。一豊の兜は黒漆塗りで、後ろに金箔を貼った御幣をあしらっているのが特徴です。一豊が築いた高知城は、江戸時代以前からの天守が現存する十二城の中の一つ。日本で唯一、天守と本丸御殿が残る城で、貴重な歴史の面影を伝えてくれます。

熊本藩(熊本県)初代藩主で、築城の名手として知られる加藤清正(1562-1611)。清正が築いた熊本城は「日本三名城」として名高く、その堅牢さから「清正公の城」とも呼ばれます。清正のトレードマークは長い烏帽子型の兜で、家紋であり魔除けの意味がある「蛇の目紋」が描かれていました。清正は領民のために熊本の治水事業にも手腕を発揮し、今も熊本の人々に敬われ親しまれています。

島津義弘(1535-1619)は、鎌倉時代から薩摩の国(鹿児島県)を支配した島津家の出身です。第16代当主・義久の弟で、兄とともに島津家の発展に尽くしました。戦場での武勇に優れ、幾度も奇跡的な勝利を収めたことから、「鬼島津」の異名で恐れられた戦国最強の武将の一人でした。兜には島津家の守り神とされた狐の飾りがつけられています。鹿児島の仙巌園は島津家の別邸で、その歴史を今に伝える名所です。
参考資料
・「地域別×武将だからおもしろい戦国史」小和田哲男(朝日新聞出版)
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